
自家焙煎のコーヒーを飲んだことがあるだろうか?
それをブレンドしたコーヒーをドリップして飲んだことがあるだろうか?
「コーヒーは苦い飲み物」
と思っているのなら、それは自家焙煎のブレンドコーヒーをまだ飲んだことのない人に違いない。
偉そうに書いたものの、筆者はコーヒーの味を表現する言葉を持っていない。
自家焙煎のコーヒーを一口飲んだ感想を書こうとすれば例えばこんな感じだ。
「香りがすごいなー。まず苦味がくるよ、だけど…雑な苦味ではなくて…。うん、豆の香ばしさがあってぇ、最後に残る香りがぁー、今まで飲んできたのとは違うんだなぁー。うまーい。」
舌がもつれながらも、なんとか自分の言葉で表現しようとすると、醜い表現なりに自分の言葉と味覚とが繋がるような気がする。それでとりあえず、家庭内では味を共有できているのは楽しい。
しかし、おそらくそれも勘違いであり、味覚という抽象的な感覚を正確に共有することは実に困難なことだ。
その点、テレビやネットで紹介されるいわゆる「食レポ」は感想を実にわかりやすく表現する。わかりやすい表現は広く共有され、万人と感情を共有できるような気がする。
それは大変シンプルで面白いが、わかりやすいが故に何か取りこぼしている気がする。同じ情報を受け取ったとしても、受け手が同じ感覚を共有するとは限らないし、そもそも、情報の受け取り方や伝わり方は、受け手の知識や感覚に依存するからだ。
そのせいか、ネット上の言葉は、よりシンプルに強いものになる。
「〜でヤバい」
「〜神」
「無限〜」
極端な言葉でしか不特定多数の人間と共有するのが難しいのは、膨大な情報が溢れる今の時代では、埋もれやすい繊細な表現では届かないという理由がある。他人と繋がるという欲求を満たすには、少しでも強くインパクトのある表現が必要だ。
即座に感情を揺さぶらないと、他人に届く前に目の前から消えてしまう。その影響なのか世の中、何かにつけて白黒つけたがる。
さっきのコーヒーの感想はそのようなメディアで映えない、バズらない表現だ。
こういう表現はメディアでは活きない。でも、自分にはそれがしっくりくる。
「白か黒」
「右か左」
「勝ち組負け組」
そんな両極端ばかりの状態にはもう飽きた。
自家焙煎のブレンドコーヒーには、インパクト重視の分断の間にある、中間領域の再生への可能性を感じる。
飲むと、きっと味の感想を言いたくなる、舌がもつれて、うまいこと言えなくても。美味しいコーヒーというのは、香りと味覚の抽象表現であり、繊細な中間領域を表現することを促す装置になると気付いた。
ネットはメディアのあり方やコミュニケーションの形を変えたのかもしれない。さらに、コロナによってリアルなコミュニケーションのあり方にもまた、変化がおきた。
しかし、人間は変わらない。ネットは共通意識を限りなく巨大化させるツールではなく、違いを知るツールとして使うのが有効だ。それは現実世界においても同じことで、「それぞれのローカルな思い込み」をどこかで共有したい。
例えば、同じコーヒーを飲むことをきっかけにして。
※「ステイローカルブレンド」はこちらのサイトで販売もしています。よろしければ覗いてみてください。