多分ナスにくっついていて、机に落ちた。
それで発見され、我が家で3週間ほど、過ごすことになった。
カタツムリは意外に早く歩く。
ググるとカタツムリは、時速48メートル程度で移動できるとのことだ。
実感としては少し目を離した隙に死角に逃げ込む程度の速度で移動する。
ビンの蓋を裏返して仮住まいさせている分には、姿を見失うことも結構あった。
きゅうりを食べては、緑色のフンをした。
フンは口の横の穴からする。
カタツムリは東北に帰ることになった。
新幹線での帰省に同行するのだ。
ちなみに東京に来る時はクール宅急便だった。
生まれた土地に帰るとき、カタツムリは乗せた手からなかなか動こうとしなかった。
多分慣れない環境に警戒していたためだろう。
暑い東京を逃れ、長野あたりへ行けば
「せいぜい30℃くらいで過ごせるかも」
と出かけたのはいいけど、結局同じくらいに暑くておまけに行き先はオフシーズンで飲食難民になりかけた。
温泉は足も付けられないくらいに熱く、入れずにいると地元民に手を差し伸べられ、なんとか熱いお湯に首までつかり、ほうほうのていで退散する。
でもそれが気持ちが良かった!
野沢温泉最高。
スキーシーズンなら入り方教えてくれないよね。
居合わせた地元民全員で湯もみしてくれないよね。
これがオフシーズンミラクル。
ノンスキーでも楽しかったよ。
帰りに寄った軽井沢も暑い。
この世に避暑地はもうありません。
あえて熱いおでんを食べて暑さに挑む。
山形も暑い。
あまりに暑いため意識朦朧としてくる(フェーン現象でその日は37℃)。
そのせいか体験が直接刻み込まれるのだ。
ナポリタン。アイスコーヒー。レモネード。
海。エアコンの弱い山居倉庫。湿気った花火。
魚。イカ。日本酒。シュノーケリング。広い空。
いつもの過ごし方なのにいつもより「効く」。
いつものステイローカルの服を来て、いつものステイローカルブレンド飲んでるのに。
身体にきつい環境がローカルに侵食する。
それでいつもの感覚など簡単に覆される。
自分てなんだろう。
人間てなんだろう。
我々はどこから来たのか我々はどこへ行くのか。
君たちはどう生きるか。
物語と直接関係のなさそうなシーンでも、観客の記憶に残るキャラの動きやポーズやセリフを宮崎駿ほど持っている作家はそうはいない。ジブリ作品が繰り返しテレビで放映されてきたこともあるが、少なくとも表面的にはジブリ作品に対する観客の教養を育ててきた類稀な存在。引退後初の長編とあって、意味の深読みなしに見るのは不可能。
中盤に超現実的な展開になる中で繰り返される自作の反復を思わせるシーンは意識的にキリコやベックリンを引用していることから、無意識を描いていると思われる。過去作ではストーリー上必要な表現になっていたけれども自分の無意識のイメージではこうだったよ、ということなのだろうか。
ジブリといえば環境問題とか、自然の尊さとか教育的なテーマがあるイメージあるけど、観客の脳裏に残っているのはナウシカのセリフとか、サツキの弁当とか、オソノさんのさっぱりした感じだったりするのがユニークなところで、宮崎駿の本領はディテールにあると思う。それが本作は剥き出しのイメージが夢のような脈絡で描かれ続けるので、かなり気持ち悪い。筋を追おうとすると取り残される。だって無意識だし。千と千尋やポニョでも感じたあの取り残され感覚をさらに強めた感じで。作家のローカルなイメージを煮詰めたり希釈したりで作品は作られるけど、宮崎駿のローカルはあんな感じなのかと思うと感動するやら気持ち悪いやらで、すごいものを観たなと思った。昔のジブリも見直したい。そしてもう一度これを見直したい。
カタツムリが家ごと移動するように、ステイローカルブレンドごと移動することが多い。
そんな感じで生きている。