アーティスト村上佳奈子「ステイローカル」のスタッフブログ

ウォーホル日記(Andy Warhol Diaries)という本があります。ウォーホルのタイピストとして働いていたパットハケットという人が書いた分厚い書籍ですが、これをヒントにステイローカル日記(Stay Local Diaries)というのを作りました。このブログの記事はスタッフによるものです。

村上佳奈子ウェブサイト
http://www.kanakomurakami.com/
ステイローカルオンラインショップ
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ushienomiti


それは幸福な本との出会い方だった。

宮沢章夫は大学の先輩なのだった。

と言っても、世代も全く違うし、別に面識があるわけではない。

学生の時、しりあがり寿はキャンパスで見かけたことがある。

横尾忠則も見かけたことがある。

宮沢章夫には、そういうのもない。

その程度の関係のなさであるが、大学に入る前から筆者は宮沢章夫のことを知っていた。

時間ばかりがあった浪人時代、立ち読みが趣味でよく本屋に立っていた。

そこで読んだのが「牛への道」というエッセイだった。

冒頭を読み始め、どこが面白いのか良くわからなかったのだが、やがてこらえきれず爆笑した。


後で読み返して考えるに、その面白さは「ものの見方」の笑いである。

「牛への道」の冒頭は何のボタンを押してもスポーツドリンクが出てくる自動販売機のエッセイだ。側から見ればただジュースを買おうとしている人の話がなぜ笑いを生むのか。

特に何も起きなくても笑いが生まれる「ものの見方」がそこにある。その見方は演劇の作法に対してや、例えば、「瓶で牛乳を飲んでいる途中、瓶のラベルをなぜか見てしまう人」にも向けられる。それは「当たり前として見過ごされていること」への冷静な目線だ。


「手を上げているとバカに見える」

「当たり前のような顔をした難解」

「バナナが一本」

「カーディガンを着た悪人はいない」

とか他にも好きなエッセイがたくさんあった。


最近の宮沢章夫の本は読んでいなかった。しかし自分が今も「常識的」だったり、「芸術的」「タマビ的」「日本的」「男性的」「女性的」なんでもいいのだが、〇〇的であることにある程度の距離を置いた目線で見てしまうのは、多分宮沢章夫のせいだ。ありがとうございました。

omairi

申し訳ないが、お盆は混むのでお盆には墓参りは行かない。

ほとぼりが覚めた頃を見計らうように夫婦で父の墓参りに行って来た。


墓と言っても墓ではない、ただ樹木があるだけの場所に筆者の父の墓はある。


よって墓参りと言ってもそこらをうろつくだけで通り一遍の作法が必要ないのが自分にとっては居心地が良い。


少しの間、そこで過ごす時間は父のことを思うが、その日は残暑の日差しが照りつけ、早々に退散することにした。


さて帰ろうとすると、


「ねえ」


という声が聞こえて

誰かに呼び止められた。


広場の隅に一人の男性が立っていた。


思えば我々が来た時からそこにいた気がする。

風景のひとつにしか思っていなかったが、我々を手招きしている。


男性の足元を見ると何かがいる。

2匹のカマキリが取っ組み合っていて、一匹がもう一匹を押さえつけ、食べていた。


「あー。カマキリは交尾のあと、雄を食べると言いますね」

「いや、そうじゃないんだよ、上の奴が急に襲って食べたんだ。どうなるのか気になってここから動けないんだよ。」


照りつける暑さのなか、60代半ばと思われるおじさんはカマキリを見るためにそこに立っていたのだ。

我々はしばらく3人でカマキリを見下ろしていた。


「写真、とりなよ」

「あー、そうですね」


別に撮りたくなかったが携帯で写真を撮った。

あとで見直すこともないだろう。


その時だった。

食べられていた側のカマキリの首が転がったと思うと、何処からか来た一匹の蟻が

「ちょっと失礼しますね」

とばかりにそれを持ち去った。


今度は、何処からか三匹目のカマキリが近づいてきて、終わったばかりの戦いを見つめるようにしてじっとしていた。

勝ったカマキリは更に負けた側の身体を引きずり、持ち去った。


これはただの事実であり、オチも教訓もない話だ。

なんとなく挨拶をして我々はおじさんと別れ、歩きだした。


好奇心の繋いだ交流は奇妙で純粋だ。

町中とはいえ、普段は意識から遠い所にある墓地という場で

知らない人と虫たちの生と死のやりとりを観察する。

コミュニケーションの起源に触れたような気がした。

そういえば、子供の時は知らない子と話す理由なんて必要なかった。興味を持ったことをただそこにいた相手と共有することがいくらでもあった気がする。


都市の暮らしからは普段見えない歪みを選ぶように生きていると感じる時がある。無意識にそこを選び取り、気がつくとそこにいるのだ。


別れ際に「この出来事を日記に書くんだ」

とおじさんは言った。

リヒター展
絵画を学んでいたのにかかわらず今になるまでリヒターをちゃんと知らずにいた。


学生の頃を思い返すと、周りで好きだと言ってる人が結構いた記憶があるし、図録を見せてもらったことだってある気がする。

しかし当時の自分にはあまり興味を持てなかったのだが、今回初めてちゃんと鑑賞することになって、見てみて、当時興味を持てなかったその理由もわかった気がする。リヒターは難しい作家なのだ。


会場は国立近代美術館ではあるけれども、そもそもリヒターを近代美術の作家と言っていいのだろうか。まずその点に触れなくてはいけないのは、リヒターを評価すべき点の重要な部分は非常に現代的な画家であると言う点にあるからだ。


近代美術館のホームページをみると、「現代アートの巨匠」と称しており、つまりこの展覧会は近代美術館で行う現代美術の展覧会である。細かいことだがこれは重要な点なのである。なぜかというと、ポスターにもなっている、「ビルケナウ」という作品や「アブストラクトペインティング」の一群があるのだけれど、これらの作品は一見すると抽象絵画であり、よくよく見ても抽象絵画であるのだが、ジャクソンポロックやロスコといった近代の抽象表現主義の画家の作品と見分けるのが難しい。しかしこれは意味の全く違う作品である。


後者は表現への意志を有するのに対し、前者は表現の部分を極力排すという点においてむしろ逆の意味を持つ。また写真をモチーフにする「エラ」という作品もポップアート的であるとも考えられるが、リヒターにはポップアートのイメージはなく、それを画家の主体性回避の問題に置き換えるとかいう具合に、一見似た見た目の絵を違ったコンセプトでプレゼンテーションする。そうすると新しいものとして扱えるのが現代の美術の面白くも難解な点であって困るのだが。


そんな現代アートの世界において、絵画という表現方法にこだわった点でリヒターは重要なのであるし、多分、絵の具で描くのがもっとも表現しやすいし、快楽だったのではないかというのが、筆者の想像である。それでもっとも難しく大切なのは他者を納得させられるかという点であるが、リヒターはその点において成功しているのは技術もさることながらコンセプトの巧みさや哲学者のようなキャラクターも一因であるだろう。絵自体は真面目さが滲み出るようで個人的には若干退屈でもあるのだけれど。


で、リヒター展からの流れで近代美術館の所蔵作品展を見ることになるのだけれど、リヒターにもっとも近い感覚で制作をしていると感じられるのはやはり村上隆や会田誠、福田美蘭などの現代美術家なのであった。思えばこうした現代アートの画家たちにも学生当時はピンとこなかったことを思い出す。


リヒターが世界的に評価され始めたのは第二次世界大戦後だと思われるが、ドイツという日本と同じく敗戦国側にあった作家は、戦後の美術において、主流になることはなかったはずであり、さらに戦後の美術の主流はアメリカであったし、ポップアートや抽象表現主義等のスタイルはすでに出たあとであった。その状況で絵を描いて世界に出て行くことは簡単ではない。リヒターの哲学者のような画業50年。いや、哲学者のようなキャラだからポップアートや抽象表現主義の後発として埋もれずにいられたのかも知れない。一見難しいと思わせるのもひょっとするとリヒターの作戦のうちなのかも知れないが、さまざまなスタイルを試しながらも絵を描くことにこだわっていることに注目したい。絵の具を使って絵を描くことはリヒターにとってのステイローカルなのだ。

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