アーティスト村上佳奈子「ステイローカル」のスタッフブログ

ウォーホル日記(Andy Warhol Diaries)という本があります。ウォーホルのタイピストとして働いていたパットハケットという人が書いた分厚い書籍ですが、これをヒントにステイローカル日記(Stay Local Diaries)というのを作りました。このブログの記事はスタッフによるものです。

村上佳奈子ウェブサイト
http://www.kanakomurakami.com/
ステイローカルオンラインショップ
https://staylocal.thebase.in/
Instagram
https://www.instagram.com/muccaccum/

2021年04月

アトリエギター
SNSで歌ったうたも100曲を超えた。「100」という数にはそれなりの量としての重みがあるものなのだけれど、数字自体に大きな意味はない。ただ、村上の性格の特徴である「しつこさ」が確かに現れている。

なにか気に入ったものがあると、しばらくブームは続き、そのうち自分でも作り始める。食べる物においても同じような展開が発揮される。

そして、実際やってみるとわかる。ほとんどの食べ物は外食するよりも家で作ったほうがおいしい。服は自分で作ったほうがほとんどの場合、気に入るものができる。既存の服にプリントするだけでも数段恰好良くなる。散髪も家でしたほうが仕上がりが良い(筆者は恩恵を受けるだけだが)。

思えばSNSで歌をうたう人は珍しくはない。でもそれが毎日となるとあまりいない。人は「そういう人」なのだと見るようになり、発表という見方もされなくなる。しかし、幼少期から習っていたクラシックという制約の多い音楽から離れ、服飾や美術を志した村上にとってはSNSという比較的自由度の高い場で歌うことが面白い。それは形式や制約を超え、自分で服を作ることや彫刻を彫ることと同一直線上にある行為だ。

ギターを片手にアトリエに出掛けていき、作った服をもって帰ってくる。そして少しだけ練習した不完全な歌をうたう。決まった形式のない、やたらに慌ただしい、生の日常から作品が生まれる。

4月12日
ひこうき雲(荒井由実)
4月13日
うどんかぞえうた(知久寿焼)
4月14日
Peace Tree(ハナレグミ)
4月15日
ほれちゃった(CHAI)
4月16日
星を食べる(たま)
4月17日
ゆさぎ(青葉市子)
4月18日
Weather Report(Fishmans)
4月19日
いたわさ(知久寿焼)
4月20日
電車かもしれない(たま)
4月21日
ナイトクルージング(Fishmans)

タケノコ帽
洋服や下着、食材を自分でも作ることができることはあまり知られていない。

本当は知られているのだけれど、普通、人はやらない。

非効率だからだ。
そもそもそんな時間はないし面倒くさい。
安くて悪くないものがいくらでも売っている。

都市で生活すると便利であることはよく知られている。

しかし、便利であることが必ずしも必要ではないことはあまり考えられない。

そんなことは考えなくても生きていけるからだ。

最近というわけではないが、我が家では手作りの比率が高くなっており、着ている服はステイローカルのものがほとんどだし、下着は手作りだし、焼き豚やらメンマやらを手作りし、バジルやシソを植えて栽培したり、変わったところでは太陽発電を試したりしている。

それは別にナチュラルライフや自給自足を目指しているのではなく、面白そうだという理由が大きい。そして、実際面白い。

2年前にアトリエ前で無人販売所という活動をしたことがある。
アトリエの前にジュースの無人販売所を設置し、販売した。
横にBOSSの自動販売機があったので、価格はそれよりも安くしたり、BOSSの販売機で買ったジュースを10円値引きして置いたり、時にはタダで販売(?)した。

ほとんどは無視されていたと思うが、お金を入れてくれる人もいて、感動したものだが、不思議な満足感を得ることができたのを思い出す。

どうやら満足度と経済効率は必ずしも比例しないようだ。

もっとも、日々の活動は非効率なだけではない。
このところ村上は歌を歌い、SNSにアップしているが、喉の調子に気をつかうようになり、爪の手入れなどをし、ますます健康的になってきた。
歌うことはストレス解消にもなっているようだ。

満足度を上げるための効率に注目すると、日常が変わる。
すばらしい芸術作品に触れたときみたいに。

4月4日
月夜の病院(たま)
4月5日
金魚鉢(たま)
4月6日
夜のどん帳(たま)
4月7日
チャンス(Fishmans)
4月8日
ラーメンたべたい(矢野顕子)
4月8日
おべんとう(ハンバートハンバート)
4月9日
春らんまん(はっぴいえんど)
4月10日
おじさんと酒(ハンバートハンバート)
4月11日
オゾンのダンス(たま)

becon
葉山に行ってきた。

フランシスベーコン展に行ってきたのだ。

フランシスベーコン(1909~1992)はイギリスを拠点に活動し、唯一無比の具象画を確立してピカソと並び称される、20世紀を代表する画家です。
とチラシに書いてある。

ピカソは1881年生まれなのでベーコンより随分先輩。
しかし現在高額で取引されている点は一緒。
その点において並び称されているのだろう。

フランシスベーコンは美術に興味なくても一度くらい目にしたことあるかもしれない。
そして一度目にしたら忘れられないくらい結構、グロテスクなイメージがある作家だ。

初期の作品やドローイングなどを中心とした今回の展示も自画像をはじめ、決してただ色や形がきれいとかそういった作品ではない。
アトリエの写真などはもはやカオスの領域だ。

興味を持つのはなぜそのような作品を作らなければならなかったかという点である。

ベーコンは生前このような言葉を残している。

「偉大な芸術とはつねに、事実と呼ばれるものや、自らの存在について我々が知ることを束ね、新たに発明するための術であり、そのような事実が年月をかけてまとったベールを剥ぎ取る方法である。」

これはどういうことを言っているのか?

「事実と呼ばれるもの」とは既成の価値観や歴史のこと。
「ベールを剥ぎ取る」とはやや激しい言い回しだが
「ピカソとか偉大な先輩のやってないことをやるのが芸術だと思う」
というだけではつまらないのでそのような言い方になっているのだと考えられる。

ピカソの写真やゴッホをモチーフにした作品、ドガの複製を使ったものなどこの展示においてベーコンの先人への強い意識が伺える。
「事実と呼ばれるものや、自らの存在について我々が知ることを束ね、新たに発明する」
この部分はサンプリングのことを言っているようで現代的だ。

さらに「術であり」、「方法である」の部分では、ベーコンの興味が見た目の美しさやオブジェの仕上がりに対するものではないということが受け取れる。
今生きていたとしたら、おそらく絵画以外の表現もやっていただろう。

ベーコンの関心は偉大な芸術を作ることにあった。
試行錯誤の結果、強烈でグロテスクな部分を強調した表現方法を選択したのだろう。

芸術家に変なことをやりがちな人は多い。
それは本当に真面目に歴史を乗り越え、先人にまだやられていないことをしようとすると、変にならざるを得ないからだ。
一見、ゴミに見えたり、無意味にしか見えないものはそのような熱い情熱に支えられて生み出されていたりする(キチガイじゃないからね、ほとんどは)。

最後に村上のプレイリストをご紹介。

3月25日
茜色の夕日(フジファブリック)
3月26日
どんぐりころころ(童謡)
3月27日
太陽さん(青葉市子)
3月28日
一粒の種(ハンバートハンバート)
3月28日
寄り道(角銅真実)
3月29日
鬼のパンツ(童謡)
3月30日
おやすみいのしし(たま)
3月31日
月のひざし(たま)
3月31日
サヨナラCOLOR(SUPER BUTTER DOG)
4月1日
学習(たま)
4月2日
はるなつあきふゆ(青葉市子)

奇妙な情熱に支えられて歌はつづくよ。

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