ポリタンク
人間にとって「知る」という刺激は強烈なのだ。
また、見えることではじめて意識することがある。

例えば、蛇口から出る水の量。
自分が洗い物に何リットルの水を使っているか知っている人がいるだろうか?
何?環境の話?とか思われるかもしれないが、それは違う。
節約の話?いや、それも違う。

娯楽の話である。

最近我が家ではポリタンクを購入した。容量20ℓのポリタンク。
きっかけはなんだったろうか?

住居のほかにアトリエを借りていて、その水道代が無駄になる。
って節約の話じゃん。いや確かにきっかけはそうだった。

ところで、水道代がどのように決まっているか知っている人はいるだろうか?
そりゃ、使った量でしょ?そうなんだけど、これ結構複雑。
うちの場合、基本料金が860円。
そこから5㎥まではタダ。基本料に含まれている。
ここで㎥についておさらいをしよう。
1㎥は1辺の長さが 1 mの立方体の体積。
水で換算すると1000ℓである。
牛乳パック1000本分。

うちの水道代は毎月基本料を超えて請求されているので5000ℓは余裕で使っているということ。結構使うのだね。

5㎥で860円とすると、860÷5000で1ℓあたり0.172円だ。基本料には人件費や設備の維持にかかるお金が含まれてるのだろうけど、それらを無視するとそうなる。

6㎥から10㎥までは1㎥につき22円。
1000ℓ22円てことは1ℓ0.022円て安い!
11㎥から20㎥までは128円。
1ℓ0.128円に値上げされる。それでも安い。

安いと感じるのは水を買うことに慣れたからか?
いや水の重要性から考えるとやっぱり安い。都市のインフラは偉大だ。

そんな風に水のコスパの高さを可視化するだけでも面白い。
普段意識しない課金システムを知ることも。

もともと安いから料金の節約という目的は失われるのだけれど、風呂や洗濯を使わないアトリエの水道代には多くの無駄があることが判明した。基本料金内の使いきれていない水、これを湧き水と名付けてみた。家から5分ほどのアトリエの湧き水。

最近は毎日湧き水をくみにいく。
使い道は主に洗い物。

ポリタンクを使うと洗い物に使う水の量がはっきりと可視化される。
はじめて洗い物に使ったときは1回の洗い物に20ℓあっさり使い果たした。

アトリエから家に20ℓの水は運ぶのはそれなりの重労働だ。20キロあるから。
しかし、洗い物に使い切るのはあっという間のことだった。
その感覚のずれが面白い。というか驚きだった。

次の日も湧き水をくんでくる。
しかし、2日目の洗い物はお皿の揃えかたや段取りに工夫をしたら、なんと水が余った。
うれしい!て馬鹿か。すぐ横に水道があるのに。

でも人間というものは、「20ℓ以内でやれ」と制限される(誰もしてないが)とその上を行ってやろうと考えるものだ。奇妙な娯楽性が出てくる。
そしてその数日後には半分の10ℓで作業を達成できた。
そこにはかなりの満足感があり、そんなことを続けるうちにやがて目覚めた感覚がある。それは、
「水は偉大」「使用量をわかって使うと気持ち良い」
というごくごくシンプルな感覚である。

こういう感覚を忘れさせていたのは何だろうか。
それは「便利」というレイヤーだ。

便利であることは疑いなくすばらしいものであり、水道を例にとれば、都市ではほぼ例外なく恐ろしい程のコスパの高さで使用することが可能だ。
そのかわり思考は停止する。
どの量が自分にとって必要な量で、どのくらい使っているのか。それにどれだけのコストがかかっているか意識しなくなる。

1度そこに意識がいくと、計測できる普段は目に見えない容量が存在することがわかる。
洗濯1回には100ℓの水を使う。
トイレは1回8ℓ。1日5,6回行くとして、2人で1日約100ℓ。
風呂は1人1回で150ℓくらいなので、2人で300ℓ。

この感覚がどのような表現に発展するかはまだわからない。
しかし、水の量を可視化して使うのが気持ちいいのと、ポリタンクから流れ出るときに聞こえる「トゥクトゥク」という音が生理的に心地よい音であるということだけは確かなのである。