フランシスベーコン展に行ってきたのだ。
フランシスベーコン(1909~1992)はイギリスを拠点に活動し、唯一無比の具象画を確立してピカソと並び称される、20世紀を代表する画家です。
とチラシに書いてある。
ピカソは1881年生まれなのでベーコンより随分先輩。
しかし現在高額で取引されている点は一緒。
その点において並び称されているのだろう。
フランシスベーコンは美術に興味なくても一度くらい目にしたことあるかもしれない。
そして一度目にしたら忘れられないくらい結構、グロテスクなイメージがある作家だ。
初期の作品やドローイングなどを中心とした今回の展示も自画像をはじめ、決してただ色や形がきれいとかそういった作品ではない。
アトリエの写真などはもはやカオスの領域だ。
興味を持つのはなぜそのような作品を作らなければならなかったかという点である。
ベーコンは生前このような言葉を残している。
「偉大な芸術とはつねに、事実と呼ばれるものや、自らの存在について我々が知ることを束ね、新たに発明するための術であり、そのような事実が年月をかけてまとったベールを剥ぎ取る方法である。」
これはどういうことを言っているのか?
「事実と呼ばれるもの」とは既成の価値観や歴史のこと。
「ベールを剥ぎ取る」とはやや激しい言い回しだが
「ピカソとか偉大な先輩のやってないことをやるのが芸術だと思う」
というだけではつまらないのでそのような言い方になっているのだと考えられる。
ピカソの写真やゴッホをモチーフにした作品、ドガの複製を使ったものなどこの展示においてベーコンの先人への強い意識が伺える。
「事実と呼ばれるものや、自らの存在について我々が知ることを束ね、新たに発明する」
この部分はサンプリングのことを言っているようで現代的だ。
さらに「術であり」、「方法である」の部分では、ベーコンの興味が見た目の美しさやオブジェの仕上がりに対するものではないということが受け取れる。
今生きていたとしたら、おそらく絵画以外の表現もやっていただろう。
ベーコンの関心は偉大な芸術を作ることにあった。
試行錯誤の結果、強烈でグロテスクな部分を強調した表現方法を選択したのだろう。
芸術家に変なことをやりがちな人は多い。
それは本当に真面目に歴史を乗り越え、先人にまだやられていないことをしようとすると、変にならざるを得ないからだ。
一見、ゴミに見えたり、無意味にしか見えないものはそのような熱い情熱に支えられて生み出されていたりする(キチガイじゃないからね、ほとんどは)。
最後に村上のプレイリストをご紹介。
3月25日
茜色の夕日(フジファブリック)
3月26日
どんぐりころころ(童謡)
3月27日
太陽さん(青葉市子)
3月28日
一粒の種(ハンバートハンバート)
3月28日
寄り道(角銅真実)
3月29日
鬼のパンツ(童謡)
3月30日
おやすみいのしし(たま)
3月31日
月のひざし(たま)
3月31日
サヨナラCOLOR(SUPER BUTTER DOG)
4月1日
学習(たま)
4月2日
はるなつあきふゆ(青葉市子)
奇妙な情熱に支えられて歌はつづくよ。