kotiraamiko



裏庭の景色がなぜか頭から離れない。


とりあえず我々は本来それぞれに「気持ち悪い」のであって、それがどうやって外に現れるかで、他人の反応は変わる。

たとえ良かれと思ってしたことであっても、庭に流産で生まれて来なかった妹の墓を作れば、親に引かれるし、表面のチョコを舐めた後のクッキーを好きな人に食べさせればボコボコにされる。

自分の純粋な気持ちと社会的な落とし所との噛み合わなさ。そんなことは誰にでもある。


あみ子みたいに生きていると、多分100億個くらい気持ち悪いところが出てきて、多くの人に引かれる。

でも、竹馬のさきちゃんみたいに笑って喜んでくれる人が、一人でも出てくるのであれば、そんな生き方もありだと思ってしまう。小説の始まりと終わりに裏庭で友人を思うあみ子のいる風景は間違いなく美しかった。


そんな少女だったのかも知れない、草間彌生の美術館にいく。

早稲田にある少し小さい美術館。

シュルレアリスム風の若い時の作品から、ポップな今の作品まで見れる。

こじんまりだが、みんなが知ってる草間彌生の作品が見れる。


思うに、草間彌生も世の中と噛み合うまで時間のかかった人だ。


純粋なままポップになるのは大変なことだ。

なぜなら純粋とポップというのは反対のことだから。

多分あみ子も草間彌生も、それが両立していることで魅力的なのである。